SAH Sports Column

ファンと共に。広島にプロバスケットボールがもたらす意義

 皆さま、初めまして。浦 伸嘉と申します。
 私は現在、広島のプロバスケットボールチーム「広島ドラゴンフライズ(以下、ドラゴンフライズ)」の代表としてチームをマネジメントしています。


 生まれも育ちも広島の私は、幼少期から続けたバスケットボールでプロスポーツ選手として活動した後に、スポーツマネジメントの分野へと転身しました。今回はそんな私が、ドラゴンフライズとWithコロナ・Postコロナ時代のスポーツチーム経営について、そしてまた、広島のためにこれから何ができるかについてお話したいと思います。

選手として味わった挫折、そしてマネジメントの道へ

  (新潟アルビレックスで活躍する浦氏)

 私がバスケットボールに出会ったのは、小学5年生の時でした。当時流行っていたバスケ漫画『スラムダンク』を読んだことがきっかけで、バスケに興味を持って学校のクラブ活動に参加し、その魅力にどんどんと惹かれていきました。
 
 中学校にあがってからバスケットボール部に入り、本格的に練習を始めたことで卒業後スポーツ推薦で美鈴が丘高校に入学することに。広島県でもバスケの強豪校であった美鈴が丘高校のバスケットボール部で3年間トレーニングに打ち込んだことで、2年生で国体に出場。3年生では全国大会のインターハイ、国体、ウィンターカップにも出場できました。その後、大阪商業大学経済学部経営学科を経て、一度広島に戻って商社に就職しました。
 
 社会人になってからもバスケを続けるなか「日本プロバスケットボールリーグ」通称“bjリーグ”が立ち上がるという話を耳にしました。学生の時から打ち込んできたバスケですがプロとして活動することはできず、不完全燃焼だった私に、その時、一度プロの道を進みたいという思いがふつふつと湧き上がってきたんです。そしてプロになる準備をするべく、会社を辞めると決心をしました。

 しっかりとした準備を経て、25歳の夏に新潟アルビレックスに入団させてもらうことに。1年間プロチームで経験を積みました。そして、将来について考え始めた26歳の私にとって、バスケを通じアメリカへ訪れる機会がやってきました。
 
 3週間の渡米のなかで、私は世界でプレーしている選手の実力を目の当たりにしました。アメリカでは小学生くらいの幼い選手が、目の前で、当然のようにダンクシュートを決めているのです。その光景を見て、「私がどんなに頑張っても、身体能力の圧倒的な差は埋められない」と思い、強い挫折感に襲われました。「このままバスケを続けられない」と思った私は、自分が今後スポーツを仕事に繋げていくためにはどうすればいいのか、を考えました。
 
 いろいろなコーチに話を伺ううちに、コーチングやマネジメントの分野に興味を持ちました。そうやって日本人の私でもスポーツに貢献できるという可能性を見出していったのです。これがスポーツマネジメントに興味を持ったきっかけなのです。

ドラゴンフライズ代表へ就任。目の当たりにしたバスケ界の現状

 そうして広島に帰ってきた後、私と兄とで立ち上げたのがスポーツマネジメント会社「株式会社Universal・Real・Ability(U・R・A)」でした。設立後は物販やアカデミーの展開、当時はあまり一般的でなかったアスリートの代理人など、少しずつビジネスを広げていくうちにチーム経営の話が舞い込んできました。それが現在代表を務めるバスケチーム「ドラゴンフライズ」です。

     (ブースターで満員になる広島サンプラザ)

 当時ドラゴンフライズは経営状況が芳しくなく、リーグに上がるためには代表取締役を置くことが必須だったものの、なかなか引き受けてくれる人が見つからなかったような状況でした。私自身、最初お話を聞いたときはかなり迷いましたが、今まで培ってきたスポーツマネジメントの力をプロチームで活かせるかもしれないと考え抜いて、代表に就任したのです。


 しかし実際に経営に入ってみると、状況のあまりの悪さに正直驚きました。「良い試合をすればお客さんが来るだろう」という計画性のない運営がなされており、ビジネス的な視点が一切欠けていたのです。このままではチームが傾くばかりでした。


 プロスポーツチームの経営には、「興行」の観点が必要不可欠です。エンターテイメント性の高い試合をつくる努力や、より良いサービスを提供するためのホスピタリティなど興行によってスポーツビジネスは支えられています。そこで私は真っ先にドラゴンフライズに興行的なビジネスを組み込む施策を考えました。


 当時クラブが考えているよりも、ドラゴンフライズは有名ではありませんでした。多くの人々にチームを知ってもらうための「認知活動」は、当初、最も力を入れた部分です。チームを知ってもらい、見に来てもらい、楽しんでもらう。そして「また来たい」と思ってもらう。このサイクルをつくるため、私の奮闘は始まりました。

常にファンとともに歩む。Postコロナ時代のチーム経営とは!?

 今年2020年、新型コロナウイルスという未曾有の事態が世界を襲うなか、スポーツ業界も大きな打撃を受けました。我々ドラゴンフライズも、去年に比べると売上は大幅に下がり非常に苦しい局面に立たされています。そんななか、お客様に見ていただきながらの試合ができないと判断したために、無観客試合を決行しました。本来はお客様で満員になるこの時期に、2試合に渡る無観客試合を経験してみてわかったことは、やはり「ファンあってのプロスポーツチーム」だということ。


 今までは企業様の広告が大きな支えとなって経営を続けてきましたが、これからはより「ファンと共に歩む」経営へ舵を切らなければならないことを痛感しました。チームを守っていくために企業様の支援ももちろん必要ですが、地域の方々により応援していただくためには、これまで以上のファンベースな運営を重視していこうと現在考えています。


 ファンとの連携をとるためには実際に交流することがマストです。オンライン、またはソーシャルディスタンスを保ったままでの交流を実現するために、今まさに工夫をしている真最中です。例えば、分かりにくいバスケのプレー上のルールをドラゴンフライズの選手が解説してくれる動画や、プレーの上達法を教えるような動画を作成しています。


 また、2メートル以上の距離を空けながら、選手がタブレットで書いたサインをファンの方のスマートフォンに送る「デジタルサイン会」を開催したり、遠近法を利用して撮影する記念撮影会などを開きました。今までにはなかった新しいサービスを実験的に採用することによって、ファンから大変ご好評をいただいています。イベントや試合を開催することが難しい時期だからこそ、ファンの方々に楽しんでいただけるようなアイデアを、今後も考え続け実行していく予定です。

アリーナビジネスに必要なのは「広島らしさ」

 我々がチームを運営していくなかで、一つの大きな目標としているのは、「アリーナビジネスへの展開」です。ドラゴンフライズの経営もアリーナの建設を念頭に置いた上で、長期的な戦略を練っています。

                     (2019-2020シーズン念願のB1昇格が決定)

 新たなアリーナを最大限に盛り上げるためには、「広島らしさ」をコンセプトとして掲げていきたいと考えています。広島らしさというのは“平和都市としての広島”のことです。広島という地は背景から全世界においても非常に注目されている都市であり、オバマ前大統領やローマ教皇など世界を象徴するような人々が幾人も訪れています。全人類がテーマとする「平和」を全面的に訴えかけられる、世界でも数少ない場所だと言っても過言ではないか思います。だからこそ、広島らしさをコンセプトに設定することで、そこに共感してくれるアーティストやイベンターの方々を呼び込めるはずです。


 私は真の平和の実現には「心の底からのリスペクト」が必要だと考えています。ドラゴンフライズのチーム経営の理念も「リスペクトが生む平和」です。ですから、Bリーグのなかでも最も多く社会貢献活動を行ったり、ピースプロジェクトを立ち上げるなど平和の体現を目指しています。我々がホスピタリティに力を入れるのも、お客様へのリスペクトを表すためなのです。


 「平和をスポーツで表現する広島」を実現するべく、これからも誠心誠意、私にできる最大限のことを続けていきたいと思っています。

浦伸嘉(Nobuyoshi Ura)

株式会社広島ドラゴンフライズ代表取締役社長


 広島県出身。広島市立美鈴が丘高等学校から大阪商業大学を経て,新潟アルビレックスへ入団。2004年には広島県代表として国民体育大会へも出場し,プロバスケットボール選手として活躍。2007年に現役を引退するとスポーツマネジメント会社「株式会社Universal・Real・Ability(U・R・A)」を設立。2016年には「株式会社広島ドラゴンフライズ」代表取締役社長に就任し,現在に至る。