コラム

広島の未来を照らす存在へ

サンフレッチェ広島アンバサダー 森﨑浩司

皆さん、こんにちは。森﨑浩司です。

僕は元プロサッカー選手として活動し、過去にはアテネオリンピック日本代表も務めさせて頂きました。同じく元プロサッカー選手の双子の兄がおり「Jリーグ史上初の双子選手」として、話題になったりしました。

(森﨑浩司アンバサダー・森﨑和幸CRM)

僕は正真正銘の広島生まれ、広島育ちです。現在も広島に暮らしており、もちろん、広島が大好きです!

そんな僕は、故郷にサッカーの持つ魅力とパワーを伝えるべく、現在サンフレッチェ広島の初代アンバサダーとして活動しています。

今回はそんな僕が今までどのようにしてプロサッカー選手としての道のりを歩んできたのか。そして新型コロナウイルスという未曾有の事態に直面している今だからこそ、スポーツが地域のためにできることについて精一杯お伝えできればと思います。

幼少時代、サッカーとの出会い

僕がサッカーを始めたきっかけは「サッカーやってみない?」という先輩からのなにげない一言だったんです。僕が小学生だったころで、まだまだサッカーはプロスポーツではなかった時代です。ところが、当時通っていた矢野小学校には偶然サッカーのクラブチームがあったのです!

もともと身体を動かすことが大好きで、当時は野球を中心にスポーツを楽しんでいたことから、サッカーにも凄い興味を持ちました。だから、先輩の誘いに乗ってサッカーを始めることになりました。サッカーを始めてみて、その魅力にとりつかれるのに時間はかかりませんでした。

それからというもの、もう毎日のように練習してはサッカーの楽しさや面白さに触れていました。小学校を卒業し、矢野中学校に上がった僕は、そのままサッカー部に入部し、やがて練習を続けていくうちに、いつしか「プロの選手になりたい!」という夢を描くようになったのです。

中学三年生の時です。プロを目指すためには、最もレベルの高いところで練習したいと真剣に考えたのです。日々のトレーニングで鍛えたキックやシュートなどの基本技術が評価されて、スカウトを受けたことが後押しとなって、サンフレッチェ広島ユースへ入団することを決意しました。

ユースチームに入ってからは、怒涛のようなトレーニングの毎日が押し寄せます。

中学三年生の三学期には、すでに寮生活を始めて中学校に通いながら、ユースにいる高校生たちと練習に励むという生活を送ることに。

今、考えてみると、年上の先輩たちとはスタミナもスピードもかなりの差があり、一緒に練習するのはなかなかに厳しいものだったなと思います。でも、その頃の僕には非常によい刺激となりました。

そして掴んだ、プロの道へ

ユースを経て、2000年にサンフレッチェ広島に正式入団することが決まります。それまでも精一杯練習に励んできた僕でしたが、プロチームに実際に入ってみた当時は、正直、ついていくことで必死の毎日でした。

実際にJリーグで活躍していたような選手たちと、自分とのスピードやフィジカルの強度の違いにはもう驚くばかりでした。しかし、プロとして活動していくなかで、その独特の空気に触れ自らを鍛え上げていくうち「プロとはなにか」ということを、だんだんと理解していきました。

ピッチ内でいかに自分の能力を100%発揮するか。そして、ピッチ外では練習時間の少ないプロ選手だからこそ、誘惑に負けることなく自分自身のメンテナンスに時間を費やしていくこと。それが、僕が自分自身をプロとして保つ「鍵」となっていったのです。

そして迎えた2001年。僕はワールドユースU-20日本代表に選出され、出場を果たしたのです!幼少期に思い描いた日本代表です、夢が叶った瞬間でした。しかし、現実はそう甘くはありません。同世代の錚々たるメンバーたちのなかで、勝ち上がっていかなければなりませんでした。強いライバル心と、今までお世話になってきた監督方の、熱い指導があったからこそ、登れた舞台だったと今では感じています。

スポーツの持つ力がWITHコロナ時代を照らす

サッカー選手として選手生命を全うし、2016年に僕は現役引退を決めました。そして2020年、引退してから4年が経過した今、新型コロナウイルスという予想だにしていなかった事態が世界中を襲いました。広島の街も、スポーツ業界も、大きな影響を受けています。

僕は選手を引退した今だからこそ、広島のためにスポーツの力で何かできることはないかと、自分なりに深く考えていました。

「広島に住む人々が、いかに広島という地を愛しているか」、ずっと住み続けてきた僕は知っています。都会と田舎、海と山がともにある住みやすさや、地元愛が現在の広島という街をつくり出しているのです。

そんな魅力溢れる広島を守るために、サッカーの力がきっと役に立つと僕は信じています。

なぜ、そう考えるかというとサッカーが広島を救った歴史があるからです。今年2020年、広島に原爆が落とされたあの日から、そして戦後75年を迎えました。当時は焼け野原だった広島という街が立ち上がった背景には、実はサッカーの存在があったのです。それは1947年に開催された全国高校サッカー選手権大会で「広島高等師範附属中学校」が全国優勝を果たしたこと。この全国優勝を機に広島は大きく活気立ったと聞いています。

過去の歴史を振り返れば『スポーツの力』によって、人々の心を勇気づけられるということが証明されてきました。

(知事表敬時)

 今まで僕たちサンフレッチェ広島の選手や関係者は、ファン・サポーターやスポンサーの方々に支えられてきました。だからこそ、だからこそです。その感謝を胸に今度は僕たちが『スポーツの力』で、皆さんの未来を照らせる存在となっていけたら、と考えています。

コロナ時代へ踏み出す一歩を、スポーツの持つ力が後押ししてくれる。

僕はそう信じてます。これからも広島で活動を続けていきます。


森﨑浩司

Koji Morisaki

サンフレッチェ広島アンバサダー

広島県安芸区出身。兄・和幸と共にJリーグ史上初の双子選手として活躍。アテネ五輪にも出場し、日本代表としても活躍した。2012年には念願のリーグ優勝を果たす。2013年、2015年と3度のリーグ優勝に貢献した。度重なる怪我や病気と闘いながらも、サンフレッチェ広島一筋で現役生活を終える。

現役引退後、サンフレッチェ広島初代アンバサダーとしてチームの広報活動などを行う。