コラム

臨場感とエンターテイメント性 3人制バスケで広島に恩返し

株式会社スリストム 代表 仲摩匠平

皆さま、こんにちは。株式会社スリストム代表の仲摩匠平です。

私は広島県呉市に生まれ、約8年間、プロバスケットボール選手としてコートに立ってきました。現在はプロでの経験を活かし、3人制のバスケットボールチーム「スリストム広島」を運営しています。今回はそんな私が、今までバスケットボールに関わってきた経験や、これからのスポーツ界における3人制バスケットボールの可能性について、お話ししたいと思います。

「エンターテイメント」としてのスポーツに出会った学生時代

私がバスケットボールに出会ったのは、小学4年生のときでした。当時、周囲ではバスケ漫画の金字塔である「スラムダンク」が全盛期。スポーツが好きな友達とみんなで読んでいたものです。

最初はクラブ活動として軽い気持ちで始めたバスケットボールでしたが、だんだんとその魅力に触れ、高校・大学と進学してからも、バスケットボールを続けてきました。

大学卒業後は、一般企業に就職する予定でしたし、まさかプロになろうとは考えていなかった私でしたが、大学4年生のときに、そんな考えを大きく変える出来事がありました。

それは、当時すでにプロバスケットボール選手として活躍していた、私の兄の試合を初めて観に行ったときのことです。

兄を応援しようと訪れた公式試合で、私は体育館に広がる光景に胸を打たれました。明るく輝く照明、鳴り響く音響、そして試合を囲む観客たちのたくさんの声援。それまでバスケットボールを「競技スポーツ」としてしか見ていなかった私の目に、初めて「エンターテイメント」としてのバスケットボールが映った瞬間でした。

「自分も、こんな舞台で試合がしたい!プロになりたい!」

輝かしい世界を垣間見た私は、こうしてプロの道に進む決心をしたわけです。

プロとしての8年間、そして新しい挑戦へ

プロになると決めた大学4年生の3月、私は大学で所属していたバスケットボールチームをすでに引退しており、他の同級生と同じように就職活動を始めていました。しかし、どうしてもプロの道に進みたくなり、就職活動を中断。

その後、アルバイトをしながら練習に打ち込み、翌年の2010年に島根で設立したばかりの「島根スサノオマジック」への入団が決まりました。

初めてのプロの世界に戸惑いや緊張感はあったものの、プロ1年目の私と、設立1年目のチームだったため、選手や運営の方々がお互いに協力しながら、探り探り進んでいった日々を、今でもよく覚えています。

それから2010〜2014年の4シーズンの間、プレーしたところで、地元の広島で新チーム「広島ドラゴンフライズ」が立ち上がると知りました。そして、故郷のバスケットボール文化に貢献したいという思いで、移籍を決めます。

地元のチームに入ってみて、驚いたことがありました。それは、自分がかつて所属していたチームのある島根では、あたりまえにバスケットボールのプロリーグが親しまれている一方で、隣り合わせた広島では、そもそもプロバスケットボール自体にあまり認知度がなかったのです。

「プロバスケットボールの楽しさを、地元のみんなにも知ってもらいたい」

そんな思いを胸に、ドラゴンフライズでも4シーズン、プレーに励みました。

その後、31歳になった私はドラゴンフライズを退団することに。まだ選手としてもプレーを続けられる年齢でしたし、他のチームに入って選手として活動するか、大学で取得した教育免許で子どもたちのコーチをしようか迷っていたところで、「広島で3人制バスケットボールをやらないか」という誘いをもらったのです。

3人制バスケットボールと言えば、新しくオリンピックの種目に入る競技で、海外では大きな体育館を満員にするくらいの人気があるのにも関わらず、日本では知名度が低い。

県外に行って選手として活動するよりも、広島にはまだ無い3人制バスケットボールのチームを作ったほうが、ずっと地元に貢献できるのではないかと考え、好奇心の後押しで、新しい道に進む決心をしました。

そして、現在の「株式会社スリストム」で代表を務めるに至ったわけです。

好奇心と勢いではじめたクラブ経営だったため、最初のうちはわからないことだらけで、トライ&エラーの繰り返しでした。

なにせ大学を卒業してからというもの、スポーツしか経験してこなかったわけです。名刺の渡し方や、ビジネスメールの書き方など、働く上での基礎から自分で調べ直し、実践する毎日。

問題にぶつかっているなかで、今まで選手としての自分を支えてくれた運営の努力が身にしみてわかったのは、良い経験だったと思います。チーム設立当初は毎日が大変でしたが、周囲のサポートもあり、楽しい日々を送ってこれました。

少人数だからできることがある、3人制バスケットボールの可能性

私の経歴をお話ししたところで、次に私がなぜ3人制バスケットボールに可能性を見出しているかについて、お話ししたいと思います。

そもそも、いま主流である5人制バスケットボールと、3人制バスケットボールの違いとはなんでしょうか?

それは、観客と選手たちの「距離感」の違いだと、私は考えています。5人制バスケットボールはコートに立つ人数が多いため、必然的に広い空間が必要となり、試合も通常は体育館で行われます。

それに対して、3人制バスケットボールは人数が少ないため、環境さえ整っていれば、公園やショッピングモールなどどこででも試合ができるわけです。体育館まで観に行かなければいけない5人制バスケットボールと、生活圏内で観戦できる3人制バスケットボールでは、観客の心理的なハードルも変わってきます。

そこで私は、まずは気軽に参加できる3人制バスケットボールを観に来てもらい、臨場感のある試合を体験していただくことで、バスケットボール自体に興味を持ってもらいたいと思っています。

そして、3人制バスケットボールを楽しんでもらえた観客の方々に、次はエンターテイメント性がより高い、5人制バスケットボールの試合にも観戦しに行ってもらえるのではないかと考えています。

3人制バスケットボールを入り口として、プロバスケットボールの認知度が上がれば、バスケットボール界全体のステップアップに繋がるでしょう。今回のオリンピックで、国内での3人制バスケットボールの認知度がもっと上がってほしいと思っています。

少子化が進む現代日本において、少人数で行える3人制バスケットボールは、スポーツ界にも貢献していけると考えています。そのためにも、3人制バスケットボールをより多くの人々に親しんでいただけるように、我々スリストム広島は全力を尽くしていきたいと思っています。


仲摩匠平

Shohei Nakama

1986年広島県呉市生まれ。小学4年時からバスケットボールを始め、高校3年時には広島市立美鈴が丘高等学校の一員としてインターハイベスト16、ウィンターカップ出場を果たす。大阪商業大学卒業後、2010年にチームトライアウトを経て島根スサノオマジックに入団。4年後の2014年には、「故郷のバスケットボール文化に貢献したい」という思いから広島ドラゴンフライズに移籍。現在は株式会社スリストム代表取締役社長兼選手として活躍する。また、兄の仲摩純平も元プロバスケットボール選手。