コラム

「広島」がつなげてくれた奇跡のような出会い

火の国サラマンダーズ 小窪哲也

 皆さん、こんにちは。2008年から2020年まで広島東洋カープに在籍していました小窪こくぼ哲也てつやです。広島のたくさんの方々に支えていただき、素晴らしい13年間を過ごすことができたこと、改めてお礼申し上げます。

この度、九州アジア独立プロ野球リーグの「火の国サラマンダーズ」への入団が決まりました。今回は、火の国サラマンダーズの代表であり、スポーツアクティベーションひろしま(以下、SAH)の代表でもある神田かんだやすのりさんからオファーを頂き、練習の合間を縫って寄稿しました。

野球がしたいという真っ直ぐな想い

2020年11月にカープを退団した後、他球団からの獲得オファーを待ちながら、元カープコーチの永田ながた和則かずのりさんが監督を務めるMSHエムエスエイチ医療専門学校硬式野球部の練習に参加していました。未練がなくなるまで野球をやり抜きたいと思っていたので、永田さんから声をかけていただいたときはうれしかったです。 

 MSHエムエスエイチ医療専門学校硬式野球部では久々にアマチュアの選手に触れ、たくさんの良い影響を受けました。プロの世界を目指して純粋に野球に向き合っている選手たちは、なんだか目がキラキラしているんです。もちろん、プロの選手も必死にやっていますが、瞳の輝きが違うというか…。上のステージを目指して真剣に野球に取り組んでいるアマチュアの彼らの存在は、とても新鮮に映りました。

たくさんの人たちに助けられて今がある

(入団会見時 左:神田代表 右:小窪選手)

火の国サラマンダーズへの入団は、いろいろな方々がご縁をつないでくださったおかげで叶いました。

5月、デイリースポーツさんがMSHエムエスエイチ医療専門学校硬式野球部に取材に来られていたとき、たまたま私が練習に参加していて、その場で取材をお受けしたんです。その翌日に出た記事をたまたま神田さんが目にされて、元カープの天谷あまや宗一郎そういちろうさん(中国放送野球解説者)を介して私に入団オファーの連絡が入ったんです。

神田さんと天谷さんは、アスリートマガジン4月号の企画記事で、広島県のスポーツによる地域活性化に関する座談会をした際に知り合ったそうなんです。

火の国サラマンダーズは熊本県を本拠地とする球団。もちろん神田さんは球団のGMもされているので、選手の情報に注目されていたとは思うのですが、SAHの代表をされていたことから「広島」のスポーツ情報に敏感だったんだと思います。

天谷さんから電話をいただいたときには、興味はあるものの、どうしようという迷いがありました。しかし、話を聞いてくれるだけでいいからと言われ、神田さんが広島にすぐ会いに来てくださいました。

(新天地でヒットを放つ小窪選手)

ほかの球団からも問い合わせをいただいていましたが、火の国サラマンダーズが一番早くオファーをくださり、神田さんの熱意を強く感じて入団を決めました。練習への見学を迅速に対応してくださったのも大きいですね。

MSHエムエスエイチ医療専門学校硬式野球部は、環境が良く、練習メニューも勉強になりました。しかし、試合に出られないという点で限界を感じていたのも事実です。技術を磨く上で、試合に勝るものはありません。新天地でさらに多くのことを学び、第2の野球人生のスタートを切ることを決意しました。

火の国サラマンダーズへの入団が決まってからは、多くのカープの選手が連絡をくれました。困ったことがあれば何でも言ってくださいと声をかけてくれ、それは大きな励みとなりました。こうやって熊本で野球を続けられるのは、カープ、そして「広島」がつなげてくれた絆があるからだと、改めて感じました。

カープの存在の大きさや影響力に触れて

カープに在籍していたときには、スポーツの力や影響力を強く感じていました。25年間優勝ができていない中で、黒田(博樹)さんと新井(貴浩)さんが戻ってきて、「マツダスタジアム」がすごく盛り上がったのは思い出深いです。あのころは「優勝」の二文字が選手みんなの合言葉でした。

(写真提供:広島アスリートマガジン)

2015年、あと一勝のところでクライマックスシリーズ出場を逃したときには、マツダスタジアムに詰めかけたファンの方たちが、ガッカリと肩を落として泣いているのを見て、広島のみなさんの中でのカープの存在の大きさを感じました。そして、勝つことで、ファンのみなさんの涙を笑顔に変えようと心に誓いました。

2016年のリーグ優勝は、東京ドームで決まったので広島の街の様子は見られませんでしたが、広島から送られてきた動画を見てびっくりしました。街がすごいことになっていましたね(笑)。その当時は選手会長だったので、驚きや喜びもありましたが、正直ホッとした気持ちが大きかったです(笑)。

広島では今、女子野球も盛り上がり始めていると耳にしました。私自身は、MSHエムエスエイチ医療専門学校に女子硬式野球部があったことと、女子プロ野球選手の高塚たかつか南海みなみさん(阪神タイガースWomens所属)に会ったことがあるくらいの関わりなのですが、元カープの浅井樹(あさいいつき)さんと、元女子プロ野球選手であり現在MSHエムエスエイチ医療専門学校女子硬式野球部部長の野々村ののむら聡子さとこさんが、広島県・中四国女子野球アンバサダーに任命されたとのことなので、これから女子野球の人口が増えて、より広島が野球で盛り上がると良いですね。発展を期待しています。

プレーできる幸せを感じながら使命を果たす

火の国サラマンダーズでは、これまで助けてくださった方々や、再びプロとして野球ができる舞台を与えてくれた球団に恩返しをしたいと思っています。ただ、今はまだ、環境も何もかも異なる地で、ゼロからスタートを切る難しさを感じています。

(若手選手とグランド整備をする小窪選手)

カープでいうと、長野(久義)さんも移籍してきた最初のころは大変だったんだろうな、と自分がその立場になって思いました。ただ、チャンスを与えてもらったので、ここでの経験は成長の糧になると信じて取り組んでいます。

カープを退団して、自分がどうなるのか先が見えない中でも頑張れたのは、支えてくれる人たちがいたからこそ。テレビ番組やスポーツ紙などでたくさん取り上げていただき、それが広島のファンの方々に届いたことで、今でも多くのみなさんに応援してもらえていて、本当に恵まれていると感じています。

今後も信念をしっかりと持って、広島で応援してくださるファンのみなさんに元気な姿を見せられるように、そして良いニュースを届けられるように頑張りたいと思います。

いつかはNPBに復帰したいと思っていますし、心の火は燃えたままです。もっともっと野球が上手くなりたいという気持ちは変わりません。国内最高峰の舞台へ挑戦できる可能性がまだ少しでもあるのならば、やるしかない。最後まで諦めず、頑張っている姿を見せたいと思います。


最後に広島の皆さんへ。カープへの応援とあわせて「火の国サラマンダーズ」を応援してください!


小窪哲也

Tetsuya Kokubo

奈良県出身。175cm、83kg。PL学園、青山学院大学卒。大学2年で大学選手権優勝、4年春ではリーグ首位打者に。2007年の大学・社会人ドラフト3巡目で広島東洋カープに入団し、プロ1年目から一軍に定着。選手会長を務めた2016年と2017年にリーグ優勝を果たした。2020年に13年間プレーした広島東洋カープを退団。

火の国サラマンダーズでは6月6日に初出場しタイムリーヒットを記録。その後もホームランを放つなど、早くもチームの戦力として活躍中。