取材記事

若手とベテランの融合”日本リーグ参入目指し勝負の2年目”

 小泉病院ソフトボール部

女子ソフトボールと聞くと「上野の413球」を思い浮かべる方が多いのではないだろうか。ソフトボールが五輪正式種目として行われる最後の大会と位置付けられた北京五輪で、日本代表の絶対的エース上野由岐子選手が準決勝から3試合連続で登板し、金メダル獲得へ大きく貢献した。

あれから12年。ソフトボールは3大会ぶりに五輪の正式種目として復帰し、再び注目を集める中、「小泉病院女子ソフトボール部」は2019年に創部された。創部当初は、未経験者を含め、部員は5名。グローブの持ち方やゆっくり転がしたボールの捕球練習からスタートしたそうだ。創部から若干2年で総勢21名となり、日本リーグ参入へ向け、日々練習に励んでいる。

取材に向かった4月18日は中国学園大学との練習試合。この日は2試合行われ、第一試合終了後に3選手がインタビューに応えてくれた。若手選手が多いチームを牽引する3選手は、言わずと知れた「ソフトボール界のレジェンド」に憧れた世代。学生時代から常に日本のトップレベルで活躍し、小泉病院女子ソフトボール部に入部するまでは、日本リーグに所属するチームで活躍した。同い年だという3選手の和気藹々とした雰囲気に、インタビューは終始盛り上がった。

日本トップレベルで活躍。これからは広島のために。

―まずは、自己紹介と簡単な経歴をお願いします。―

立川選手:主将の立川夏波(たつかわなつは)です。ポジションはショートです。広島県広島市出身で、広島商業高等学校から山梨学院大学に進学して、SGホールディングスギャラクシースターズ(現在日本ソフトボールリーグ2部)に所属していました。地元である広島で、ソフトボールを盛り上げていきたいという思いが昔からあったので、このチームに声をかけてもらって広島に戻ってきました。

日浦選手:副主将の日浦安奈(ひうらあんな)です。ポジションはライトとファーストです。広島県大崎上島町出身で、呉市にある清水ヶ丘高等学校から神戸親和女子大学へ進学して、厚木SC(現在日本ソフトボールリーグ3部)に所属していました。1度、選手を引退したんですけど、引退して1年半くらい経った時に、地元の広島にソフトボールチームができるということで、復帰しました。

山下選手:助っ人の山下りら(やましたりら)です!(笑)ポジションはファーストですが、DHで出場することが多いです。出身は愛媛県の宇和島市なので、広島にゆかりはないです(笑)中学まで愛媛県に住んでいて、高校は岡山県の創志学園に進学しました。

卒業後は、6年間トヨタ自動車レッドテリアーズ(現在日本ソフトボールリーグ1部所属)に在籍していて、日本代表にも選出されて、ワールドカップなどの世界大会にも出場して優勝の経験もさせてもらいました。1度引退してソフトボールから離れていたんですけど、2020年の12月かな。2年ぶりくらいにグランドを走ってました(笑)

―県外で活躍されていた時に広島のソフトボール競技はどんな風に見えていましたか?―

立川選手:中学生、高校生世代は全国でも活躍できるくらいのレベルだと思うんですけど、その先の大学や社会人チームがなかったので、どうしても県外に出て行ってしまうんですよね。でも、小泉病院に女子ソフトボール部ができて、広島でソフトボールを頑張れる環境があるので、ぜひうちに来てほしいですね!(笑)

改めて実感したソフトボールの面白さ

―皆さんが感じるソフトボールの魅力は?―

山下選手:ソフトボールは、7回までで野球よりも小さいスペースでやるんです。なので、マウンドからバッターボックスまでの距離も、塁間も近いので、結構スピード感があると思うんです。野球しか見たことない方からすると、特に展開が早く感じるんじゃないですかね。

日浦選手:誰が見てもわかりやすいんじゃないですかね。一回観てほしいよね!

山下選手:ほんとに一回騙されたと思って見てほしいですよね!(笑)今日の試合みたいに最後に盛り上がる展開だと観ている方は楽しいですよね。私たちからすると、今日の試合の内容はあまりよくはないんですけど(苦笑)

(4月18日 vs中国学園大学【1試合目】5-6 〇2回裏に2点を先制し、4回まで無失点で進むが、5回からランナーを背負う展開で5点を献上。3点ビハインドで迎えた7回裏に打線がつながりサヨナラ勝ちを収めた。)

立川選手:あとはチームプレーですかね。今日の練習試合も良い例なんだと思うんですよ。私今日全然打てなくて自分の成績だけでいえば悪かったんですけど、調子が悪い選手がいても、周りの選手がカバーできるところじゃないですかね。

例えば、ピッチャーが10点取られてしまっても、周りが打って11点取れば勝ち投手になるんです。これは個人競技では味わえないと思うんですよ。個人競技だと、技術が高い選手が必然的に勝つと思うんですけど、飛び抜けて技術の高い選手がいなくても、チーム力で勝てるんです。

今日みたいに先制したけど逆転されたみたいな、どんな悪い試合展開でも、7回裏3点ビハインドから打線がつながって、サヨナラ勝ちしましたし、ずーっとお互い0点が続いて、最後に1本ホームランが出て勝つっていう、鳥肌が立つような試合をたくさん経験してきて、やっぱりこういう部分が魅力だと思いますね。

立川選手:そういうところもチームプレーですよね。

山下選手:今まで当たり前のようにやってましたけど、自分を犠牲にして味方を次の塁に進めることですもんね。私、今言われて確かに!って思いました(笑)サッカーやバスケのアシストとも少し違うルールかもしれないですね。

―日浦選手は1度引退されたそうですが、現役復帰しようと思ったのは、やはりソフトボールに未練があったからですか?―

日浦選手:地元である広島にチームができたのも理由の一つですね。もともと引退を決めたときに「まだプレーできるな」っていう思いはあったんです。実際にソフトボールから離れてみて、「やっぱりソフトボール好きだな」「またやりたい!」って思っていて、ちょうどその時にこのチームができたので、30歳までは頑張ろう!という気持ちで復帰しました(笑)

山下選手:今の「30歳まで頑張ろう!」ってところ録音できてます?(笑)

立川選手:撤回しないようにしてもらわないと(笑)

日浦選手:え、「その時は」をつけ足してもいいですか?(笑)

―山下選手も1度引退されています。日本のトップリーグ・日本代表で活躍されましたが、その時を振り返ってみていかがですか?―

山下選手:高校を卒業後、実業団チームに所属してみて、今まで自分がソフトボールをやってきた環境と全く違ったんですよね。良い意味でも悪い意味でも。私が所属していたトヨタ自動車は、選手としてソフトボールに専念できるように、環境が整えられていたんです。その分、とにかく結果が求められる場所でもあって…。そのしんどさで、好きで続けていたソフトボールをもうやりたくなくなってしまったんです。引退する頃にはもう嫌いでしたね(苦笑)それが3年くらい前かな。

もともと引退したらトヨタ自動車も退社するつもりだったんです。人と接する仕事が好きだったので、引退して2年くらいは、飲食店で働いたり、パーソナルトレーナーとして働いていました。その時は、また自分がソフトボールをすることになるなんて想像もしてなかったですけどね。ほんとにソフトボールに関するものを全部捨てたんですよ。グローブもウェアも。唯一残っていたのがこれですもん!(来ていた日本代表のウインドジャケットを指して)

そんな時に、木谷監督から声をかけてもらって、広島にソフトボールチームができることを知ったんです。もともと木谷監督と知り合いだったし、地元の愛媛から離れて生活していたので、広島なら地元に近くなるなーっていうのもありました。でもやっぱり一番大きかったのでは、「ここならまた楽しくソフトボールができるな」って思ったんですよね。これが現役復帰の決め手です。あとは、引退した後に仕事を通してたくさんの方と関わってみて、私がこれまでソフトボールで得た経験や日本代表での経験などを次世代に伝えていくことで、少しでもソフトボールの普及に繋がったらなという思いで、今またグランドに立っています。

共にチームを作り上げていく同志として

―チームの特徴を教えてください。―

立川選手:我々ベテラン組が元気ですね~(笑)それこそ、最初は私たちベテラン組と高卒世代だったので、チーム内で年齢が離れていたんですよ。今年、大卒世代が4~5人入ってくれたのでバランスが取れましたね。

山下選手:世代関係なく仲良いですよ。若手も思い切ってできる環境だと思います。あと、本当に監督に相談しやすいです。

日浦選手:プレーのこととか本当に相談しやすいというか、まず話しかけやすいんですよ。

立川選手:私たちの場合、監督と年齢が近いですし、もともと知り合いだったということもあるんですけど、いわゆる「監督と選手」という関係性ではなくて、「一緒にチームを作っていく同志」みたいな感じなんです。良くも悪くもって感じではあるんですけど(苦笑)でもこういう関係性でプレイすることをこれまで経験してきたことがなかったですね。

山下選手:お互い相談するし、相談されるっていうのが新しいです。今までで経験したことないですね。

立川選手:若いチームだからこその楽しみというか、自分たちで作っていく中で成長していくっていう環境なので、今までなかった経験ができてます。

―皆さん木谷監督から声がかかってこのチームに来られましたよね。―

山下選手:私は「監督が楽しそうな人だなー」と思って入ったんですよ。もともと知り合いだったということもあるんですけど、ここなら私がやりたかったソフトボールができる、楽しんでソフトボールができるって思えたんですよね。

日浦選手:私もです(笑)

立川選手:監督と年齢が近いですし、楽しみながらプレイできてます!

―木谷監督との面白エピソードを教えてください(笑)―

山下選手:そんなの毎日ですよ(笑)

日浦選手:お茶目でしかない!(笑)

山下選手:監督の誕生日のエピソードなんですけど、私たちが誕生日を忘れてるっていうドッキリみたいなことをしたんですよ。ちょうど練習日だったのに、誰もお祝いコメントを伝えなかったんです(笑)

あ、もちろんプレゼントは用意してましたよ?(笑)私たちはいつも通り練習を終えて帰ろうとして、監督が電話している間にプレゼントをホームベースに置いておいたんです(笑)

日浦選手:電話しながらチラチラ見て気づいてたけどね!(笑)

立川選手:電話終わってニヤニヤしながら嬉しそうに開けてましたね~(笑)

山下選手:それを全員でベンチの端から眺めるっていう(笑)

立川選手:ガヤ言いながらね(笑)

日浦選手:めっちゃ喜んでたよね(笑)

立川選手:他にもいっぱいあるよね(笑)ほんと小学生みたいなとこありますからね(笑)

山下選手:そういう感じの監督です(笑)

立川選手:もちろん意見が合わないこともあるので、口喧嘩みたいなこともありますよ。だから良くも悪くも距離が近いです(笑)

―皆さん同世代でとても仲が良いですが、オフはどう過ごすことが多いですか?―

3人:飲み…かな(笑)

日浦選手:3人ともお酒好きなんですよ!(笑)

山下選手:コロナが流行っているので、なかなか外食に行けないのが残念なんですけど(笑)

立川選手:今は一人で寂しくお酒を楽しんでます(笑)

山下選手:正直、まさか同じチームになるなんて考えられなかったですよ!(笑)お互い小学生の頃から知っていたので(笑)

立川選手:敵ですもん!ずっと!(笑)

日浦選手:ほんとずっとライバルでしたね(笑)

山下選手:まさかこの歳になって同じチームになるとは(笑)

今の環境に感謝して。結果で恩返し

―皆さん昼間は小泉病院で勤務されているそうですね。―

立川選手:私と日浦は病院で受付をしています。

山下選手:私は作業療法科でリハビリアシスタントをしています。

―ソフトボールをしていて生きたこと、働いている経験が生きたことはありますか?―

3人:どっちもあるなぁ(笑)

山下選手:礼儀はかなり生きてるじゃないですかね。社会人としても絶対必要なことですし。逆に社会人経験から言うと、特に私の場合、1度引退してから色んな業種の仕事を経験したので、周りへの気配りとか気遣いは、今の小泉病院での勤務もそうなんですけど、チームの一員として活動する中でも生きていると思います。

日浦選手:私も礼儀は特に生きてると思う。

―初めてグランドにきたんですが、立派ですね―

山下選手:昔から小泉病院の軟式野球部があって。今は一緒にグランドを使っています。

立川選手:本当に練習環境が整ってますね。グランドの奥にある棟は、トレーニング器具が置いてあって、オフもウエイトトレーニングができるんです。

日浦選手:働く環境もあって、ソフトボールも頑張れて、ほんとに有り難い環境ですよ。

山下選手:トヨタ自動車に所属していた頃は、こういう周りのサポートに気付かなかったですけどね。一日中ソフトボールをする環境が整っていたけど、それが当たり前という感覚がありましたし。1度引退してソフトボールから離れてみて、恵まれた環境だったって実感しましたね。今でもこんな恵まれた環境でソフトボールができて本当に感謝です。

―皆さんのこれまでの経験を踏まえ、今、ソフトボールを頑張っている子供たちへメッセージをお願いします。―

山下選手:ソフトボールに限らずなんですけど、続けていることはとにかく続けてほしいです。続けることは絶対に財産になると思うんですよ。

日浦選手:辞めるのは簡単というか、すぐ辞めれるんですよ。辞めてから後悔することって多いと思うので、辞めたいって思うこともあると思うんですけど、頑張って続けてほしいですね。

山下選手:この歳まで続けていたからこそ気づくことがたくさんあるじゃないですか。小学生の時にソフトボールを続けられていたのは、両親のサポートや周りの環境が整っていたからこそですからね。

立川選手:続けることって難しいんですよ。例えば、毎日○○する!って思っても、なかなか続けられないじゃないですか。継続するって一番難しいと思いますね。

日浦選手:今、ソフトボールを頑張れているのは当たり前じゃないですからね。自分が後悔しないところまで続けてほしいです。私みたいに「まだやれたのに!」っていう後悔ってほんとに辛いですから。

―最後に、今後の意気込みをお願いします。―

立川選手:このチームはまだ日本リーグに所属していないので、チームとしては、日本リーグ参入を目指して頑張っていきたいですし、個人としては、もう一度日本リーグの舞台でプレイがしたいです!

山下選手:今までトヨタ自動車や日本代表で、たくさんの観客で埋め尽くされたスタジアムでプレーしてきたので、その経験を次世代にさせてあげたいですね。その為にも、私たちがチームの土台をしっかり作っていきたいです。5月15日、16日に全日本実業団選手権大会の中国地区予選があるので、そこで「小泉病院女子ソフトボール部」の名を轟かせてきます!(笑)

(5月15日、16日開催予定だった全日本実業団選手権大会中国地区予選は、対戦相手チームの出場辞退により全日本実業団選手権大会への出場が決定。)

日浦選手:この大会が初めての公式戦なので、今年が勝負の年だと思っているので、しっかり結果を残していきたいです!

立川選手:去年、公式戦が全くなくて、何をモチベーションにしたらいいかわからない中、みんなで頑張ってきたので、2年分の思いを発揮してきます!

山下選手:まずは日本リーグに参入するぞ!

広島県内での女子ソフトボール競技は、全国でも活躍できる選手も多く、2021年3月末に福岡県北九州市で開催された第17回都道府県対抗全日本中学生大会では、広島県選抜が12年ぶり2回目の優勝を果たした。

しかしながら、女子ソフトボール部のある高等学校はあるものの、本格的な部活動をしている大学がないのが現状。もちろん社会人で活躍する場も少ない。そういった中で「広島で女子ソフトボール選手が活躍する場を提供したい」という思いから、小泉病院はソフトボール部を創部したそうだ。

選手たちは、日頃、(医)仁康会小泉病院のスタッフとして勤務しながら終業後に練習に励み、土日には練習試合を行っている。日本リーグ参入へ向け、二足の草鞋を履き、着実にチームを成熟させつつある小泉病院ソフトボール部の歴史はまだ始まったばかりだ。

【小泉病院ソフトボール部】

2019年、広島県三原市小泉町にある(医)仁康会小泉病院に創部された女子ソフトボールの実業団チーム。ソフトボールの経験者が、働きながら競技を続けられる環境として、独自の奨学金制度などを設け、看護資格や介護福祉士の資格取得などの支援を行っている。また地域へ向けたソフトボール教室などの社会貢献活動も実施している。

本取材にご協力いただきました小泉病院女子ソフトボール部の関係者の皆様、本当にありがとうございました。

(文・インタビュー矢上/写真チーム提供・矢上)