取材記事

女子野球を通じて実現させたい、女性が夢を追って輝く姿

MSH女子硬式野球部 部長 野々村聡子
(女子野球アンバサダーに就任した野々村さん(右から2人目))

全日本女子野球連盟が昨年よりスタートさせた「女子野球タウン認定事業」。女子野球をシティプロモーションとして活用する自治体を「女子野球タウン」として認定し、連盟と共に地域活性化を目指そうという取り組みだ。

広島県では昨年12月に廿日市市と三次市が女子野球タウン第2号として認定されたことを受け、「好きじゃけん 女子野球 広島県!」が始動。広島県と中四国地域における女子野球普及振興活動に取り組む一環として、連盟は令和3年4月に女子野球アンバサダーを任命した。

アンバサダーに就任したのは、元カープ選手で2020年から球団初の専属指導者・ベースボールクリニックコーチに就任した浅井樹あさいいつきさん。そして、元女子プロ野球選手で、MSH医療専門学校女子硬式野球部の立ち上げに携わり、現在は部長を務める野々村ののむら聡子さとこさんだ。

プロ野球選手という子どもの頃からの夢を叶え、指導者へ転身。自身のキャリアと結婚・出産を両立し、女子野球選手のロールモデル的な存在として、今後も活躍を期待されている野々村さんに話を聞いた。

週7で野球ができる喜びをかみしめた大学生活

―野々村さんが野球を好きになったきっかけを教えてください―

小学3年生のときに当時の市民球場で初めてカープの試合を観ました。これまでラジオやテレビで観たりしていましたが、球場で観る姿が勝ち負け関係なくかっこ良くて。自分も野球をしてみたいと思ったのが始まりです。

元々、ずっと外で遊んでいるような活発な子どもで、スポーツは何でも好き。水泳とかキックベースボールとかもしていました。ただ、当時、女子が野球をする環境がなかったので、お父さんとキャッチボールをしていましたね。

―野球のプレーを始めたのはいつですか?―

中学生のときは男子に混ざって野球して遊んだりしていましたが、本格的にプレーを始めたのは大学に入ってからです。中高共に女子野球部がなく、中学ではバスケットボール、高校ではソフトボール部に所属していました。

高校卒業時になっても広島には女子野球ができる環境がなかったので、奈良教育大に進学し、女子の社会人クラブチーム「大阪BLESS」に入りました。「大阪BLESS」での活動は土・日曜日だけなので、平日は大学の男子硬式野球部で練習していました。

―週7で野球をしていたということですか!?―

そうです(笑)。ずっと野球をしたかったので、できる環境にいることがうれしくて。平日は夕方から練習で、20時や21時頃に帰宅して寝る生活。土日は、奈良から大阪まで電車で1時間ぐらいかけて移動しないといけないので、朝6~7時頃に家を出てました。練習は丸一日でしたのでオフの日はなかったですが、疲れが溜まったという記憶はないですね。当時は、20歳前後で若くて元気だったのだと思います(笑)。

―いくら若いといっても凄いです(笑)。男子に混ざっての練習はどうでしたか?―

ノックやバッティングなど基本の練習は同じですが、試合形式になると男子の方が外野の守備が深かったり、距離やスピードの違いがありました。足も球も、男子はやっぱり速いです。平日に男子の中で練習してその技術やスピードに慣れたことで、女子のチームの中で活かせることができたのは良かったと思います。あとは、週7で野球ができるということがとにかく一番。めっちゃ野球が好きなんでしょうね(笑)。

念願叶って広島に初の女子硬式野球部を創設!

―大学卒業後は2010年に女子プロ硬式野球「兵庫スイングスマイリーズ」に入団されました。プロ野球選手時代を振り返ってください―

2011年のシーズン終わりまで所属しましたが、ケガが多くて出場数が伸びませんでした。また、試合で活躍をして勝つということが仕事になるので、純粋に野球が好き!という思いだけではない厳しさを感じましたが、全国各地を回りながらたくさんのお客さんに応援してもらえる喜びを知りました。

―指導者へ転身したきっかけは何でしたか?―

ケガで試合に出られていなかった2011年は、高校で女子野球部がどんどん増えているタイミングでした。私は教員免許を持っているので、指導者として野球に関わるという選択は自分にとっていいかもしれないと思いました。

ただ、女子プロ野球リーグはセカンドキャリアのサポートとして柔道整復師の資格取得支援があって、あと1年で柔道整復師の学校を卒業して資格が取得できるというタイミングでした。プロ野球を離れるなら地元に帰りたいという思いがあったので、広島で学校を探し、MSH医療専門学校に出会って、入学しました。

―MSH医療専門学校は指導者として入ったわけではないのですね―

そうなんです。ちょうど女子野球部を作ろうとしていたようで、卒業後に立ち上げの手伝いをしてくれないかとオファーをいただきまして。広島に女子野球の環境がなくてずっと寂しい思いをしてきたので、広島で初めての女子硬式野球部の創設に携われるのは光栄でした。子どもの頃の夢が叶った感じです。

(MSH専門学校女子硬式野球部のメンバー)

―女子硬式野球部の創設で大変だったこと、苦労したことはどんな点ですか?―

まずは選手を集めないといけません。次年度に高校を卒業する年代で、柔道整復師の資格が取りたくて、広島のMSH医療専門学校に入学したい、野球をしたい女子、という条件の人材を探すのが大変でした。

全国規模で女子野球部のある高校をひたすら回ったのですが、その高校自体が少なくてスカウトに苦労しました。そして、なんとか人数を集めて創部できても、なかなか結果が出ないんですよね。最初の2~3年はコールド負けをしたり、チーム作りに苦戦しました。

―MSH医療専門学校女子硬式野球部は、創部当初から監督を務められました。24歳と若い監督だからこそのモットーなどはありましたか?―

自分が選手を引退して間もなかったので、こう教えてもらいたかったなど、当時感じていたことを実践するようにしました。目的が分からない練習をすることがないように、トレーニング内容の必要性を説明して、個々が納得して打ち込めるようにしたり。

あとは、走り込みなども大事だけど、やっぱり野球をしたいという気持ちが強いと思うので、練習の中でなるべく野球をするようにしていました。年齢が近いので選手との距離感を崩さないように気を付けながら、同世代の監督だからこそできる指導を心がけてきたつもりです。

―監督を9年間務め、現在は部長として活躍されています―

9年間試行錯誤しましたが、2016年に全日本クラブ選手権で準優勝、そしてジャパンカップに出場できたのは良かったと思っています。今は妊娠と出産で、遠征や練習に行くことが難しくなったので、部長という立場で関わらせていただいています。

女子野球を発展させ、女性が好きなことを続けられる未来を

(アンバサダー就任式で意気込みを語る野々村さん)

―男子とは違う、女子硬式野球の魅力を教えてください―

全力疾走、元気いっぱい! みたいな、一生懸命さやひたむきさが魅力だと思います。これまで野球ができる環境に恵まれなくて、今やっと野球に打ち込める土俵に立てた。プレーしている姿から、そんな選手一人ひとりの喜びが伝わってくると思います。

―全日本女子野球連盟の中四国アンバサダーとして、どのように女子野球を盛り上げていきたいですか?―

やりたいことをどんどん提案してほしいと言われているので、いろいろと考えているところです。女子の野球教室とか、小中学生を対象に裾野を広げるようなイベントをしていきたいねって、(もう一人のアンバサダー)浅井さんと話しています。あとは、お母さんにも野球に興味を持ってもらえたらいいのかなぁと思ったり。お母さんと娘がキャッチボールで遊んだりするようになれば、野球に興味を持ってくれる女の子も増えるのかなと思います。

―広島だけでなく中四国地方と広いエリアでの活躍が期待されています―

広島以外の県にも女子野球のクラブチームや高校の女子硬式野球部がありますので、需要はあると思います。男子は中四国地域で野球教室などを開催しているので、女子も広島だけでなく中四国と規模を広げて取り組んでいきたいです。

―広島県では廿日市市と三次市が女子野球タウンに認定されました。三次市では早速、大きな大会が開催されるそうですね―

11月13日(土)、14日(日)に、第7回女子硬式野球西日本大会が行われます。毎年20チーム以上が参加する大会で一般の方も無料で観戦できるので、ぜひ女子硬式野球の魅力に触れていただきたいです。

直近では7月10日(土)、11日(日)に全国から12チームを呼んで、女子硬式野球西日本大会のプレ大会のようなものを開催します。ここでも試合を観ていただけますので、こんな感じなんだ~っていうぐらいの軽い気持ちでいいので(笑)、ぜひお越しいただきたいです。

―最後に、女子野球を発展させる上で伝えたいことを教えてください―

野球を通して年齢関係なく色んな人と関わることで、人として成長できると思います。子どもが育っていく上で、親や学校の先生がいる場所とは違う環境に身を置くことも大事なんじゃないかなと。

また、現在は多様な考え方がありますが、女性は結婚・妊娠・出産によって、仕事や好きなことが続けられなくなるという問題が未だに残っていると思います。自分が女子野球に関わり続けることで、好きなことを諦めなくていいし活躍し続けられるということを、示していけたらいいなと思っています。

終始にこやかにインタビューに答えてくれた野々村さん。アンバサダーとしての仕事はまだ始まったばかりで手探りだが、大好きな野球の広報活動ができる喜びを噛み締めているようだ。持ち前の明るさと行動力で、女子野球の未来を切り拓いてくれることを期待したい。


野々村聡子

Satoko Nonomura

広島県三原市出身。福山誠之館高等学校から奈良教育大を経て、わかさ生活社が運営する女子プロ野球リーグの入団テストに合格し、女子プロ野球選手に。2011年退団後は広島市内のMSH医療専門学校の女子硬式野球部の立ち上げに携わり、監督に就任。元広島東洋カープの選手と結婚し、現在は一児の母。柔道整復師の資格も持つ。


本取材にご協力頂きました野々村聡子さんと関係者の皆様、本当にありがとうございました。

(文・インタビュー 前岡/写真 MSH専門学校女子硬式野球部提供ほか)