取材記事

パラリンピック2大会連続銅メダルを獲得!~12人で世界一を掴む車いすラグビー~

車いすラグビー日本代表 長谷川勇基

年齢や性別を問わない車いすラグビーは、スポーツの新スタンダード

―長谷川選手のどんなプレーに注目してほしいですか?

車いすラグビーの見どころである強烈なタックルや素早い動きはもちろん、主に守備を担うローポインターの動きにも注目してもらえたらと思います。

(写真:有限会社エックスワン)

私は持ち点0.5の障がいが重いローポインター。スピードやパワーは画面越しで見ていても伝わらないと思うんです。画面の端っこでチョロチョロしていることが多く「この人は何をやっているんだろう?」と思われ、自分の役割が伝わらないのが悩み(笑)。オフェンスでボールを持たなくとも「縁の下の力持ち」として、ハイポインターのトライをサポートしています。試合展開を先読みし、野生の感覚を持ちながら相手選手の動きを抑えている守備を知ってもらえると、より楽しめると思います。

―始められたとき、恐怖心はありませんでしたか?

私は、埼玉県のリハビリセンターで車いすラグビーに出会いました。「余暇活動で車いすラグビーを体育館でやっているから見に来い」と言われ、初めて見たのが島川選手(島川慎一/持ち点3.0)のタックルだったんです。その激しさから、「ちょっとやめようかな…」と思ったんですが、「痛くないからやってみなよ」と誘われて初体験。音と衝撃の割に体は痛くなく、意外と爽快感がありました。そこからはまりましたね。

(中央:島川選手/右奥:倉橋選手)

島川選手のタックルは世界で一番重いと言われていて、下からえぐるようなタックルが来るんですよ。あまり当たりたくはありませんが(笑)、見た目に反し、当たっても痛くありませんよ。

―改めて、車いすラグビーの魅力を教えてください。

年齢性別問わず同じコートに立てるのが最大の魅力であり、競技の特性的にも他にあまりないスポーツだと思います。パラリンピックの日本代表チームは、女子の倉橋選手が一緒にプレーしていますし、島川選手はチーム最年長で5回目のパラリンピック出場です。そして10代の橋本選手もいました。今の時代に沿ったスポーツだと思いますね。海外だと女子だけの大会が開かれていますが、日本国内には3人しか女子選手がいません。倉橋選手は女子選手を増やして日本でも女子リーグができるよう普及活動をしています。男女関係なく、みんなで盛り上げていきたいです。

趣味はスニーカー収集と音楽。懐かしいお好み焼を広島で。

―広島に帰ったら、やりたいことはありますか?

17歳で怪我をし、九州の病院に運ばれ、その後も家に帰らず埼玉のリハビリ施設へ。そのまま大学に進学してしまったので一回も広島に帰っていないんです。

まず、お好み焼が食べたいですね、観光客向けじゃない、地域密着型の小さいお店に行きたいです。あの独特な雰囲気、懐かしいです。東京でもお好み焼は食べられますが、時々広島風をうたいながらも、本場とは程遠いものが出てくるのでオーダーしないようにしています。広島に帰るまでは、お好み焼は食べません!(笑)

―髪型や服装など、とてもおしゃれですね。

学生の頃から、趣味で靴や服を買いに出かけるのが趣味でした。ここ2年ぐらいはオンラインでしか買い物をしていませんが、以前はよく息抜きで電車に乗り渋谷原宿方面に買い物に行っていました。

スニーカーも大好きで、コレクションは50足。下駄箱に入りきらないので、箱のまま部屋に積んでいます(笑)。車いすラグビーをプレーする時も、気分に合わせて色々なスニーカーを履いています。日本代表として出場するときは、ユニフォームのカラー(ホーム:赤/アウェイ:白)に合わせて、そして願掛けのつもりでホームウェアの時は赤い靴をチョイス。ヘアスタイルやカラーは、友人の美容師さんにいつもお任せで頼んでいるんです。

―音楽が好きと伺いました。

高校生の頃、怪我をする前にバンドを組んでドラムを叩いていました。ELLEGARDENをはじめ、王道のロックをコピーしていましたね。パンクやロックが好きで試合前に聞いて気持ちをあげています。洋楽になりますが、よく聞くのはRed Hot Chili Peppers。そして最近必ず試合前に聴くのはCreepy Nutsです。ジャンル問わず、ヒップホップやジャズも聞くんですよ。落ち着いたらまたライブに行きたいと思っています。代表合宿に呼ばれ始め、なかなかタイミングがなく一回もライブに行けていないので。

―記者会見で銅メダルを獲得したら自分自身へのご褒美に枕を購入したいと話されていました。

何を喋ろうかなと思った時に、私の前に質問に応えていた若手選手が急にボケ始めたんです。「池崎さんに焼肉を奢ってもらいたい」とか(笑)。私も何かボケなきゃなと思った時に浮かんできたのが枕。今回割り当てられた選手村の部屋は、1人部屋が1つ、2人部屋が3つの構成だったんです。私の部屋は2人部屋でした。元々1人じゃないとあまり寝られないタイプで、日によっては熟睡できない日もあり、集団生活の厳しさを知りました(笑)。だから安眠できるグッズをと思い、「枕」と答えたんです(笑)。他選手も、私が単独行動派なのを知っているのでクスクス笑っていましたね。また大きな大会前になったら、憧れのMy枕を作ろうと思っています。

パリパラリンピック大会、そして車いすラグビーの普及に向けて

―最後に、皆さんにメッセージをお願いします。

東京パラリンピックで盛り上がった車いすラグビーへの注目をこれ一回きりで終わらせたくありません。今回をきっかけに車いすラグビーを知った人が、3年後のパリ大会でも引き続き見てもらえるよう、そしてみんなに興味を持ってもらえるよう活動していきたいと思っています。

広島県には車いすラグビーのチームがまだありません。選手層も増やしていきたいですしサポートするスタッフも必要です。用具代の負担も大なり小なりありますので、地域をあげてサポートしていかないと難しいスポーツなので、その点をクリアにしていきたいなと思っています。

過去、私が関東に出てくる前、広島でできるスポーツがないか見に行ったことがあります。しかし車いすラグビーはあまりやってない状況でした。障がい者がスポーツをすることができる場所はないのか…という不安がありました。障がいがある方々は、スポーツに参加できる機会がないとなかなか次に進めません。今後は自分の競技レベルアップはもちろん、その第一歩もお手伝いしていきたいと思っています。

数々の取材が立て込み、お忙しい中インタビューを受けていただいた長谷川選手。パラリンピックで見せた強さの裏側にある、スタイリッシュな雰囲気も非常に魅力的でした。取材にご協力いただき、ありがとうございました。


長谷川勇基

Yuki Hasegawa

1992年10月5日、広島県広島市生まれ 高校3年生の時に海水浴場で転倒し、頸髄を損傷して車いす生活に。大学在学中に車いすラグビーを始め、「BLITZ」に加入。2018年に強化指定選手に選出されたことを機に本格的にスタート。怪我をする前は水球の選手だったこともあり球技を得意としている。正確なパスに加え、スピード感を持って相手の動きを予測する守備の高さが持ち味。


(文・インタビュー大須賀あい/写真日本パラリンピック委員会・一般社団法人 日本車いすラグビー連盟)