COLUMN / INTERVIEW コラム・取材記事
パラリンピック2大会連続銅メダルを獲得!~12人で世界一を掴む車いすラグビー~
パラリンピック競技の中で唯一車いす同士がぶつかりタックルが認められている車いすラグビー。その激しさ故、「マーダーボール(殺人球技)」と呼ばれていたこともあるほど激しいスポーツだ。
世界ランク3位で挑んだリオパラリンピックでは、3位決定戦で強豪のカナダを破り、見事銅メダルを獲得。今年開催された東京パラリンピックでも銅メダルに輝き、日本は2大会連続の銅メダルを獲得した。
広島市出身の長谷川勇基選手は、日本代表の一人として活躍を見せた。日本代表に選出されたのは2018年からで、初出場となった東京パラリンピックの様子や次回大会への意気込みを伺いながら、車いすラグビーと長谷川選手の素の魅力に迫る。
パラリンピック初出場、チーム一丸となり獲得した銅メダル
―銅メダルを獲得された率直な感想をお聞かせください。
私個人としては、メダルを取れて嬉しく思っています。同時に、パラリンピックが終わり、少しホッとしています。しかしチームとしては金メダルを目指していたので、3位という結果はとても悔しいです。
―初めてパラリンピックの舞台に立った気持ちは?
他の大会と違い、会場が重たい空気に包まれていました。どの国も緊張感でいっぱいという雰囲気です。特に初戦のフランス戦、最初の8分は記憶が飛ぶほど緊張しました。
車いすラグビーの大きな大会として、世界選手権とパラリンピックがありますが、私はどちらも未経験。これまで出場した数ヵ国集まる小規模の大会は、試合外でも各国が交流し、和気あいあいとしたムードでした。その和やかな雰囲気しか知らなかったので、緊張感が増してしまったと思います。
コロナ禍での大会とあって、試合が終わった国はすぐ選手村に戻らないといけませんでした。対戦相手と自国選手のみが会場に入り、お互い口もきかない独特の緊張感ですね。「戦いに来ているんだ」と実感しました。
―パラリンピックの前後で環境の変化はありましたか?
僕は無名だったので、パラリンピアンでメダリストになった瞬間は反響がすごかったです。急にデビューしたアイドルみたいな感じですね(笑)。試合終了後にはLINEが鳴りやまず、SNS フォロワーも急に増えました。地上波で全試合放送していただいたことは、すごくありがたかったです。車いすラグビーを初めて見た人がほとんどだったと思うので、競技を知ってもらえるきっかけになったと思います。
―一番心に残っている試合は?
準決勝でイギリスに負けた試合は忘れられないですね。私が日本代表に入ったのが2018年の1月。それからイギリスには1回も負けたことがなく、日本としては得意とする相手でした。自信を持っていた分、良い流れに持っていけず、ズルズルと最後まで続いてしまった印象です。
そしてオーストラリアとの3位決定戦。予選で1回勝っているのですが、その試合より思い切ってプレーできました。ベンチからも声が出ていて、日本チームらしい試合ができ嬉しかったですね。
チームを信じ、自分を信じ、全力で戦う日本代表
―チームには経験豊富な選手が在籍。先輩選手からかけてもらった言葉で印象的なものは?
池崎選手にはよく声をかけてもらっています。「次はお前がやるんだぞ」と最後のオーストラリア戦で肩を叩かれ声をかけてもらい、試合中も指示をいっぱい出してもらっています。
緊張している時に「若者らしく好きにやれよ」「思いっきりやってこいよ」とラフな感じで話してくれるのが池崎さんの魅力だと思います。
―日本代表チームの魅力は?
合宿の時からチーム目標として「believe」と「hard work」を掲げていました。
「believe」=信じるって必ず何かに繋がると思うんです。自分や仲間を信じて新しいプレーにチャレンジし、前向きな姿勢を意識していたので、12人が一体となって戦うのが日本の強みだったと思います。
そして「hard work」。ケビン監督から「常に休まず走れ」と言われていました。車いすはスピードが乗っていると手を離しても惰性で走ります。手を抜こうと思えば抜けるんです。しかしそれに甘んじず全力で走る。コートにいる間は全力です。
―次のパリ大会に向けて克服したい課題は?
今回、初戦のフランス戦でスタメンを任されたのに緊張しすぎて全く動けませんでした。2試合目以降スタートを任されることがなかったので、スタートでしっかり動き、結果を出すことを長期目標として掲げていきたいです。全試合スタメンで出ても、遜色がないように仕上げていきたいと思っています。
それに後輩もどんどん入ってきているのでリーダーシップを取れるようになっていきたいですね。