取材記事

広島から、女子パルクール界に期待の新星!努力を続けた末の日本選手権出場

MISSION PARKOUR PARK HIROSHIMA 古田 雫

街中や公園の障害物を華麗な動きで乗り越え、ダイナミックなアクションで魅せていく──。そんなパルクールの映像に見覚えがある人は、きっと多いだろう。

走る・跳ぶ・登るなどの動作を用いながら、体一つで様々な状況や環境に応じて動き、心身の強さを鍛えていくフランス発祥のトレーニングカルチャー。アーバンスポーツが盛り上がる中、パルクールシーンもまた革新の時期を迎えている。

2018年、2019年には旧広島市民球場跡地にて「FISE WORLD SERIES HIROSHIMA」パルクールW(ワールド)(カップ)が開催。2019年11月には「第1回パルクール日本選手権」が開催され、将来のオリンピック種目入りも期待されているのだ。

パルクールを始めて2年で大会入賞を果たした古田雫選手は、広島市在住の中学2年生。大会出場レベルまで少なくとも5年はかかると言われるパルクール界において、たった2年の年月は前人未到の偉業だ。トップ選手たちが羽田空港に一挙集結する2021年12月の「第2回パルクール日本選手権」にも出場を決定した古田選手に、自身のこれまでの歩みやパルクールの魅力、大会に向けての意気込みを聞いた。

パルクールアスリートを目指し駆け抜けた2年間

―パルクールを始めたきっかけ教えてください。
 もともと宙返りがしてみたくて、家の近くの体操教室へ見学に行ったんです。でも人数待ちが多く諦めようと思っていたところ、お母さんが「パルクールっていうスポーツがあるみたいだよ」って教えてくれたんです。とりあえず体験に行ってみたらすごく楽しくて、そこからずっとパルクール一筋ですね。スタートは、小学6年生の夏です。

―激しいアクロバット技も繰り出す競技ですが、怖いと感じませんでしたか?
 最初は怖かったです。技の難易度が高くなるにつれ、怖くて何度もためらう瞬間がありました。でも、やってみないと始まりません。先生からの後押しもあり、怖さを乗り越えて挑戦。あらゆる技を習得していきました。パルクールは1人で行いますが、技や恐怖という見えない敵をどんどん倒していくイメージですね。

―競技開始から2年で大会出場。相当な練習量だったと思います。
 最初は週1回、その後週2回のペースでMISSION PARKOUR PARK HIROSHIMA(広島市西区)に通い、小学6年生の12月から、同施設の選手枠練習クラスに行くようになりました。レッスン中や合間も他の子と喋らず、黙々と集中。レッスンから帰ってすぐ後も、お父さんが手作りしてくれたレールを使って、家で練習。何より、ただただパルクールが楽しかったんです。
 そして大会出場を目標にしてからは、日々修業のような時間を過ごしました。ダンベルを両手に持って何度もジャンプ、クライムアップ連続100回、懸垂50回…。でも、年齢の離れた先輩や先生たちも当たり前のように一緒にやっていたので、違和感はなかったですね。

―辛くて自分に負けそうになったことは?
 辛いなぁと思う時はたまにあります。特に学校のテスト期間中は、勉強をしたくても疲れて眠くて…。でも、頑張れば頑張るほど結果が出るパルクールが、とても楽しかったんです。それに、今まで頑張ってきた日々を無駄にしたくない気持ちが強かった。土日もほぼ練習漬けです。朝9時から夜中の9時まで、常にパルクールをする状態が続きました。私だってたまには遊びに行きたいけど、友達から「どうせ忙しいんでしょ」って誘われなくなり少し寂しかったんです。だからこそ、我慢して頑張った時間を無駄にしたくない。辛いという理由で辞めちゃったら、その我慢も無駄になってしまうと思ったんです。努力は必ず報われる。そう考えて真剣に取り組んできました。